家族の中の「道具的役割」と「情緒的役割」

こころを整えるヒント

「ちゃんと育ててもらったはずなのに、なぜか生きづらい」

「家族に大きな問題があったわけではないのに、安心できなかった」

「親は十分にしてくれたと思う。でも、自分の気持ちを分かってもらえた感覚があまりない」

そんな感覚を持つことはありませんか。

家族心理学では、家族が機能するために必要な役割の一つとして、
「道具的役割」と「情緒的役割」という考え方があります。

ざっくり言うと、

道具的役割=生活を支えること

情緒的役割=心を支えること

です。

今回は、この2つがそれぞれどんなものなのか、そして、どちらかに偏りすぎるとどんなことが起こりやすいのかを見ていきたいと思います。


「道具的役割」とは?

道具的役割とは、簡単にいうと、
家族が生活していくための現実的・実務的な役割です。

たとえば、

  • 仕事をして収入を得る
  • 食事を用意する
  • 家事をする
  • 家計を管理する
  • 子どもの学校や病院などの手続きをする
  • 必要なものを買う
  • 家族の予定を調整する
  • 問題が起きたときに解決策を考える

などがあります。

つまり、

「家族が生活していくために、実際に何をすればいいか」

を担う役割です。

子どもが病気になったときに病院へ連れていく、学校に必要なものを用意する、進路について一緒に考える、
といったことも道具的な支えに含まれます。

こうした役割は、もちろん家族にとって大切なものです。


「情緒的役割」とは?

一方の情緒的役割は、
家族の気持ちや、人と人とのつながりを支える役割です。

たとえば、

  • 話を聞く
  • 気持ちを受け止める
  • 共感する
  • 励ます
  • 安心させる
  • 一緒に喜んだり悲しんだりする
  • 家族が話しやすい雰囲気をつくる
  • 家族同士の関係を調整する

などがあります。

こちらは、

「家族の中で、どんな気持ちで過ごせる?」

という部分を支えるもの、と考えると分かりやすいかもしれません。


たとえば、子どもが学校から帰ってきて、
「今日、友達と嫌なことがあった……」
と言ったとします。

「じゃあ明日、先生に相談してみようか」
と一緒に解決策を考えるのは、道具的な支え。

「それは嫌だったね。つらかったね」
と気持ちを受け止めるのは、情緒的な支えです。

どちらも、子どもにとっては大切なものですよね。


「ちゃんとやってくれたのに、なぜか満たされない」の正体

ここで少し気になるのが、

「親はちゃんと育ててくれた」
「衣食住にも困らなかった」
「進学もさせてもらった」
「必要なことはしてくれた」

それなのに、

「自分の気持ちを分かってもらえた感じがしない」

というケースです。

これは、親が愛情を持っていなかったという話ではありません。

道具的な支えは十分にあったけれど、情緒的な支えが少なかった
ということがあるのです。

例えば、

「どうすればいいか」は教えてくれる。

でも、

「あなたはどう感じているの?」

とはあまり聞かれない。

問題が起きたら解決してくれる。

でも、

「それは悲しかったね」

とは言ってもらえない。

そのような環境だと、子どもは生活面では守られていても、
自分の感情を誰かと一緒に扱う経験が少なくなることがあります。


道具的役割が強すぎると?

もし家族の中で、道具的な役割ばかりが強かったらどうなるのでしょうか。

もちろん、家庭によって違いますし、これだけで何かが決まるわけではありません。

ただ、たとえば、

「困ったことがあれば解決してくれる」
「必要なものはちゃんと用意してくれる」
「学校や進路のことも考えてくれる」

という一方で、

「悲しいね」
「それはつらかったね」
「あなたはどう感じた?」

といったやりとりが少ないことがあります。

すると、

「どうすればいいか」は分かるけれど、
「自分はどう感じているんだろう?」が分かりにくい

ということが起こる場合があります。

たとえば、何か嫌なことがあったときも、
「じゃあ、こうすれば解決できる」
と考えることはできる。

でも、

「私は今、悲しいんだな」
「本当は誰かに話を聞いてほしかったんだな」

というところには、なかなか目が向かない。

また、
「ちゃんとする」
「役に立つ」
「問題を解決する」
ことが重視されるあまり、

弱音を吐いたり、甘えたりするのが苦手になることもあります。

もちろん、道具的な支えがしっかりしていること自体は悪いことではありません。

ただ、それだけになってしまうと、

「生活はちゃんと成り立っているけれど、なんとなく心が満たされない」

という状態になることもあります。


情緒的役割が強すぎると?

では、情緒的な役割が強ければ強いほどいいのでしょうか。

これも、そうとは限りません。

家族の気持ちやつながりをとても大切にするあまり、

「お母さんが悲しむから……」
「家族なんだから分かってくれるよね」
「今これを言ったら、相手が嫌な気持ちになるかも」

と、自分の気持ちや意思よりも、家族の感情を優先することが増える場合があります。

また、

「家族の誰かが落ち込んでいると、自分まで何とかしなきゃと思う」
「家の中の雰囲気が悪いと、自分が何かして改善しなきゃと思う」

というように、家族の感情を自分の責任のように感じてしまうこともあります。

さらに、気持ちを大切にすることに偏りすぎると、
「どうしたいか」は話し合うけれど、具体的な問題解決がなかなか進まない、
ということもあるかもしれません。

つまり、情緒的なつながりが強すぎる場合には、

「心のつながりは強いけれど、一人ひとりの境界や自立が保ちにくい」

という状態になることもあります。


大切なのは「どちらもある」こと

ここまで読むと、
「じゃあ、うちはどっちが強かったんだろう?」
と気になるかもしれません。

でも、必ずしも「道具的50%、情緒的50%が理想」
というわけではありません。

大切なのは、

必要なときに、生活の支えも、心の支えもあること。

そして、

家族の誰か一人に役割が集中しすぎないこと。

たとえば、子どもが学校で嫌なことがあったとき、
「じゃあ明日、先生に相談してみよう」
だけでもなく、

「それはつらかったね」
だけでもなく、

「それはつらかったね。どうしたら少し楽になれそう?一緒に考えてみようか」

となれば、両方の支えがあります。

そんな関わり方ができると、子どもは、

「自分の気持ちを大切にしていい」

と同時に、

「困ったことがあっても、一緒に解決していける」

という感覚を持ちやすくなります。


また、
「道具的役割は父親、情緒的役割は母親」というように、
性別によって固定されるものでもありません。

母親が家計を支え、父親が子どもの話をじっくり聴くこともあります。
夫婦がお互いに生活面を支えながら、
気持ちの面でも支え合うこともあります。

家族の中で複数の人が、それぞれ異なる役割を担うこともあります。

大切なのは、

「誰が何をするべきか」ではなく、
家族に必要な機能が適切に分担されているか

ということです。


本来、子どもが大人の役割を担う必要はない

本来大人が担うはずの役割を、
子どもが継続的に背負ってしまう場合もあります。

  • 家事をたくさん担当する
  • きょうだいの面倒を見る
  • 親の相談相手になる
  • 親の愚痴を聞く
  • 家族の雰囲気を悪くしないようにする
  • 両親の喧嘩を仲裁する

などです。

このようなことが一度でもあったら「問題のある家庭」
というわけではありません。

ただ、本来大人が担うはずの役割を、
「子どもが親を支える状態」で継続的に背負っていた場合には、

「自分は家族の中で、どんな役割をしていたんだろう?」
と振り返ってみると、今の自分を理解するヒントになるかもしれません。


家族に必要なのは、「生活を支えること」と「心を支えること」の両方

道具的役割と情緒的役割は、どちらが重要というものではありません。

家族が安心して暮らすためには、

生活を支える力
そして、心を支える力

その両方が必要です。

そして、どちらか一方に偏りすぎず、
家族の中で無理なく分担されていることも大切です。

家族を振り返ることで、

「自分の家庭では、何が十分だったのか」
「何が少なかったのか」
「自分はどんな役割を担っていたのか」

ということが、少しずつ見えてくるかもしれません。

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